そういえば手術当日の夜(23時ごろ)担当看護師(夜勤をしてくれていた)が「先生の指示で事前に採血してあった400ccの血液を戻さなければならないけど、指示がさっきあったので保冷状態のままなのよね。本当は常温でしばらく温めるのだけど」といって輸血しました。見るからに冷たさそうな自己血でしたが、悪いことは連鎖するようで最初は冷たかったので落ちる速度が通常でしたが少し温くなってからは速度が早くなっていたようで2時間程で戻さなければならないところが40分で落ち切ってしまいました。1時間後に見に来てビックリしていましたが、こっちはもっと不安でした。案の定30分もすると冷たい血液が全身にまわったのか寒くてガタガタ震えが止まらなくなり、ナースコールで呼んだところ電気毛布をかけてくれました。ところが、2時間もすると血液が温まってきたため汗びっしょり、今度は外してもらいました。なんだかんだで熟睡できないまま。

15日(手術の翌日)から午前、午後の1日2回のリハビリ、しかもリハビリ室まで行かなければならない!歩行器につかまり両腕に点滴、脊髄注射、尿管カテーテルついたままの状態でこの日が一番辛かった。夕方にはカテテールも外してもらい歩行器につかまり自力でトイレに、用を足していると尿路に激しい痛みと残尿感しばらく続きました。食事はこの日の夕食から食べれましたが、シャーワーはまだだけど体は拭いてもらえました。栄養点滴も外されました。

16日明け方腰椎注射が終わったようで患部が疼きだす。「やっぱり効いていたのだ」と実感。午前のリハビリで「午後の終了後、歩行器から松葉杖になります。」と言われる。午前は体拭き、午後は洗髪をしてもらう。点滴は1本になる。

17日からはシャワー解禁のため患部のガーゼを外して防水性の絆創膏に張り替える。この時、自分の手術痕を初めて見ることができた。10cm位の傷口だった。通常は15〜20cmの手術痕になるらしい。最少侵襲手術にしてよかったとつくづく思った瞬間でした。リハビリの際に松葉杖で歩いている様子を病院の保存用としてビデオに収録される、緊張してちゃんと歩けたか不安。点滴も1日3回必要な時のみとなる。(でもその都度、針を刺すので腕は跡かたが増えてきた。

18日はリハビリで松葉杖を脇に当てて使うのでなく、横を持ち杖のようにして使うように指示される。水戸黄門のようなスタイルに受けてしまう。

19日は日曜のためリハビリは休み、ナースステーションに行って許可をもらいリハビリ室の前の廊下で秘密特訓。リハビリ同様午前、午後の2回実施。日曜日なので院内は見舞客が多い。夏季休暇中の2週間足らずの入院なので家族以外にはあまり連絡はしていなかったが、見舞いが来て嬉しそうな人々を見ると少しだけ寂しさが出てくる。

20日、昨日の特訓を報告すると「あまり無理はしないで」と、いやいや無理はしていないのだけど毎日動かしていないと不安だし何しろ暇なもので!

22日ついに杖も外して自力歩行、この日24日退院の連絡を受ける。水曜日は朝一番で先生方の回診があるのだが、前回15日は手術の翌日であまり覚えていなかったが、先生方が大勢で押しかけてくるので「白い巨塔」を思い出して笑えた。ベッドに腰掛けて普通にしていたら副院長が驚かれていたけど、担当医は当然みたいな顔をしていた。

23日病院の総務担当が来て退院の際の手続きや治療費の連絡を受ける。何故か名残惜しさが湧き出てくる。

24日10時退院予定。その前に9時から最後のリハビリ、汗をかいたのでまとめていた荷物をほどき着替える。会計で、精算して領収書をナーススーテションに提示してからの退出となり看護師が部屋のチェックをする間待機。担当看護師はお休みでしたが、他の看護師は「もう退院ですか?」などと驚いてみせていた。

その後1週間は自宅療養して9月からは職場復帰することができました。