たなちゃんねる

〜アラカンフリーカメラマンのフリーな日常記録〜

今更ながら

GW期間中、撮影は無いので実質6連休=収入なし、フリーだけど専属で仕事している身の恨めしいこと!

今更ながら長期の休暇になると心が暗くなる。福利厚生もないので現在の倍の収入が欲しいとこだが、地域的にカメラマンに対する待遇は良くないと思う。2本目、3本目の収入源を確保したいところだが。

救いは連休中に同窓会が行われること、旧知の友と久しぶりに語らい英気を養いましょう。

あれから1年

 右足の人工股関節置換手術を行って昨日(8月14日)で1年になりました。激しいスポーツはできませんが、水泳・自転車こぎなど股関節に負担の少ないものを時々行っています。軽い仕事なら殆ど影響がないように感じています。たまにある重労働後に、調子が悪いかなと感じるくらいです。

 身体障碍者手帳(4級)やハートフルパス(優先駐車スペース利用証)も所持していますが、普段は使うことがありません。そろそろ、1年目の検査にと思っています。

写真を撮るときはデジカメ?スマホ?

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 仕事用にデジイチ、SNSにはPCで処理したいものには、デジイチorコンデジ、速報性のあるものはスマホorタブレットと分けています。仕事柄変な写真はアップできないので・・・。

回顧録

2010年6月仕事中に右足付け根に違和感を感じ、8月には痛みが出て、翌2011年1月に初めて整形外科を訪れる。レントゲンとMRIの結果、「特発性大腿骨頭虚血壊死症」と診断され総合病院への紹介を受ける。
そこでは手術しか治療法がないことを告げられ、_鹽捷切り法、⊃郵骨頭置換手術、例外として保存療法〜薬を飲み痛みを抑える(鎮痛剤)があるとのこと。
,蝋頭をいったん切り離し荷重の掛かるところに壊死していない部分を持ってくる術式で、復帰まで2年 
△浪死している骨を人工骨と交換する術式で、復帰まで2ヶ月と説明を受けるが自身の立場としては2ヶ月でも無理な話でしかなかったため、保存療法を選ぶことになったが薬はほとんど飲まず過ごしてきた。
その間経過を見てきたが、1ヶ月ごとにレントゲンを撮るたびに骨頭がの壊死の範囲が広がり潰れてきているのがわかるようになってきた。

転機は2012年2月、最初に訪れた整形外科で定期的にリハビリ治療を受けていたのだが、手違いで飛ばされてしまい治療を受けることができなかった。自分としては「大病」と認識して仕事に差し支えないようにとの思いで、治療を続けていたのだが、「飛ばしてもいいような(うけなくてもいいような)治療法だったのだ。」とそこの病院の対応に醒めてしまったのでした。

それからこの病気について、本やインターネットを使い再度調べ始めました。「大腿骨頭虚血壊死」に対する手術方法として「最少侵襲手術(MIS)」を用いているスーパードクターが札幌や金沢にいて多くの方々を長期入院の生活不安から救ってくれていることを知りました。そこで地元の整形外科のホームページを検索してこの手術方法を行っている医師を2名見つけました。(それぞれ別の病院です)同じ病院の医師でもできる方とそうでない方がいます。幸いに1名は自宅から近い、学生のころ近くに住んでいたため、かかりつけにしていた病院にいました。さっそく3月に訪問し診察を受け先生とソーシャルワーカーの方と綿密に打ち合わせをすることができました。

それは手術をしてから退院まで10日から14日しかかからない画期的な手術方法でした。通常の手術方法は大腿骨の筋を1本切断してから行うために2ヶ月もの期間が必要でしたが、MISは1本も切らずに行うため私のように当日からのリハビリ、11日で退院ということができるそうです。来月で術後半年になりますが昨年11月からはスポーツジムに通って泳いだり、自転車こぎなどを行い右足の筋肉を復活に燃えています。惜しむらくはあと1年早くスーパードクターを探すことができていたらならと思います。

世の中の同じ病気で悩まれている方々へ「特発性大腿骨頭虚血壊死症」は特定疾患ですので、申請すると特定疾患用の保険証が発行され医療費の補助があります。身体障碍者の4級にも認定されます。2年とか2ヶ月とかの古い手術方法に惑わされず自分の生活サイクルに支障の少ない「最少侵襲手術(MIS)」をお勧めします。あなたの住まわれている近くにもきっといるはずです探してみてください。辛い痛みや極端な跛行から解放されます。

入院生活

そういえば手術当日の夜(23時ごろ)担当看護師(夜勤をしてくれていた)が「先生の指示で事前に採血してあった400ccの血液を戻さなければならないけど、指示がさっきあったので保冷状態のままなのよね。本当は常温でしばらく温めるのだけど」といって輸血しました。見るからに冷たさそうな自己血でしたが、悪いことは連鎖するようで最初は冷たかったので落ちる速度が通常でしたが少し温くなってからは速度が早くなっていたようで2時間程で戻さなければならないところが40分で落ち切ってしまいました。1時間後に見に来てビックリしていましたが、こっちはもっと不安でした。案の定30分もすると冷たい血液が全身にまわったのか寒くてガタガタ震えが止まらなくなり、ナースコールで呼んだところ電気毛布をかけてくれました。ところが、2時間もすると血液が温まってきたため汗びっしょり、今度は外してもらいました。なんだかんだで熟睡できないまま。

15日(手術の翌日)から午前、午後の1日2回のリハビリ、しかもリハビリ室まで行かなければならない!歩行器につかまり両腕に点滴、脊髄注射、尿管カテーテルついたままの状態でこの日が一番辛かった。夕方にはカテテールも外してもらい歩行器につかまり自力でトイレに、用を足していると尿路に激しい痛みと残尿感しばらく続きました。食事はこの日の夕食から食べれましたが、シャーワーはまだだけど体は拭いてもらえました。栄養点滴も外されました。

16日明け方腰椎注射が終わったようで患部が疼きだす。「やっぱり効いていたのだ」と実感。午前のリハビリで「午後の終了後、歩行器から松葉杖になります。」と言われる。午前は体拭き、午後は洗髪をしてもらう。点滴は1本になる。

17日からはシャワー解禁のため患部のガーゼを外して防水性の絆創膏に張り替える。この時、自分の手術痕を初めて見ることができた。10cm位の傷口だった。通常は15〜20cmの手術痕になるらしい。最少侵襲手術にしてよかったとつくづく思った瞬間でした。リハビリの際に松葉杖で歩いている様子を病院の保存用としてビデオに収録される、緊張してちゃんと歩けたか不安。点滴も1日3回必要な時のみとなる。(でもその都度、針を刺すので腕は跡かたが増えてきた。

18日はリハビリで松葉杖を脇に当てて使うのでなく、横を持ち杖のようにして使うように指示される。水戸黄門のようなスタイルに受けてしまう。

19日は日曜のためリハビリは休み、ナースステーションに行って許可をもらいリハビリ室の前の廊下で秘密特訓。リハビリ同様午前、午後の2回実施。日曜日なので院内は見舞客が多い。夏季休暇中の2週間足らずの入院なので家族以外にはあまり連絡はしていなかったが、見舞いが来て嬉しそうな人々を見ると少しだけ寂しさが出てくる。

20日、昨日の特訓を報告すると「あまり無理はしないで」と、いやいや無理はしていないのだけど毎日動かしていないと不安だし何しろ暇なもので!

22日ついに杖も外して自力歩行、この日24日退院の連絡を受ける。水曜日は朝一番で先生方の回診があるのだが、前回15日は手術の翌日であまり覚えていなかったが、先生方が大勢で押しかけてくるので「白い巨塔」を思い出して笑えた。ベッドに腰掛けて普通にしていたら副院長が驚かれていたけど、担当医は当然みたいな顔をしていた。

23日病院の総務担当が来て退院の際の手続きや治療費の連絡を受ける。何故か名残惜しさが湧き出てくる。

24日10時退院予定。その前に9時から最後のリハビリ、汗をかいたのでまとめていた荷物をほどき着替える。会計で、精算して領収書をナーススーテションに提示してからの退出となり看護師が部屋のチェックをする間待機。担当看護師はお休みでしたが、他の看護師は「もう退院ですか?」などと驚いてみせていた。

その後1週間は自宅療養して9月からは職場復帰することができました。




























































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